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2009年9月25日 (金)

8月27日「頼朝、使行平に付し京に言上する条々」

「吾妻鏡」文治三年(1187)8月27日乙未。
「頼朝、使行平に付し京に言上する条々」
 下河邊庄司行平は、鎌倉幕府の公式の京都朝廷への交渉の使者として京都へ向かい出発しました。これに、色々な事を京都朝廷への申し入れるためです。
一つ 強盗の群れのこと
  京都に詳しいものの仕業か、もしくは京都周辺の武士であろうか。どちらにしても良くお調べいただくことです。
一つ 江大夫判官検非違使大江公朝の下男が悪い業績について
  河内国で、関東の御家人だと偽って、居座ってあくどい業績をしていると噂に聞いています。全く頼朝とは関係のないやつなので、良く調べてください。
一つ 院の直属の武士の検非違使任命について
   このような官職に就くことは、最近では誰もが望んでいますが、以前はたやすく認められませんでした。よくよくそのふさわしい人柄を選んで、より分けて任命するべきです。
一つ 壱岐鼓判官平知康について
   義経、行家に味方している者です。ですけど特に意見はありませんので、京都朝廷にお返しするので判断してください。
一つ 朝廷へ尽くした人達の子孫について
   先祖が朝廷への手柄の有る人達の子孫が浮かばれないのは、朝廷の怠慢である。特に政務担当に任命されるように。
一つ 西八条の屋敷地について
   平家から没収した領地として戴きましたが、朝廷でもお使いになられたいと、内々にお聞きしましたので、早くどうするか決めてください。
一つ あちこちの地頭たちについて
   前もって、すでにそれぞれに良くいい気かせてあります。若し頼朝の指示に従わない奴がいましたら、教えていただければ、罰を与えます。
 以上の事柄を、朝廷の公平を考えて、申し上げます。
    文治三年八月二十七日

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