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2009年9月26日 (土)

文治四年(1188)6月17「昌明の上洛に便宜を計る」

「吾妻鏡」文治四年(1188)6月17日辛巳。
「昌明の上洛に便宜を計る」
 常陸房昌明は、最近京都から参った者です。元は延暦寺に住んでいて、武勇で名の通った人です。特に前備前守源行家を討ち取ってからというもの、人は彼に一目置くようになったという。それなのに、強田あたりに領地を持っていたのですが、思わぬことに地頭職を取上げられてしまったので、憂い訴えるために京都へ上ろうと考えました。便宜を図ってもらうように、お手紙を京都駐屯の御家人に対し、一筆書いて下さいと望んで言上しました。そこで、昌明が京都に居る間は、旅行用の食料を希望したら望みどおりに与えるように、一条能保に言いつける手紙を、昌明に与えられました。昌明は内緒でその手紙を開いて読んでしまい、怒りながら手紙を持って文句を言いました。このお手紙は、わざわざ申し出たのにです。でも、この趣旨を良く考えてみたら、一見恩を与えられたように思えるけど、まるで罰のようだ。どうして恥ではないと云えるだろうか。全然旅行の為の食料を望んだわけではない。訴えに京都へ行くので、単に用心のためなのだ。勇敢な武士だとの褒め言葉には、有り難い事だと云ったので、頼朝様はお気にいられ、直ぐに筑後權守俊兼に命じて、書き換えさせました。僧ではあるけれども、勇士である。京都に駐屯している間は、そばにおいて警備させると良いでしょう。右兵衛督殿。と書いてあげましたという。それ以来、昌明は特に機嫌が良いとのことです。

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