« 11月12日「義経等召し進すべしとの院宣下さる」 | トップページ | 11月18日 「頼朝上洛の伝聞」 »

2009年8月 3日 (月)

十一月十五日「高階泰經様の使者、陳弁のため鎌倉に到る」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十一月十五日甲午。
「高階泰經様の使者、陳弁のため鎌倉に到る」
 大藏卿(大蔵大臣)高階泰經様の使いが鎌倉へ到着しました。処罰を恐れてか、直ぐに幕府へは行かず、左典厩一条能保様の屋敷へ行って、お手紙を鎌倉殿頼朝様に献上するのですと伝え、他の一通を一条能保様へ献上しました。義經たちの事は、私の意思でやったのではなく、ただ武力を恐れて云うがままに後白河法皇に取り次いだだけです。どう云う具合にお耳に入っていますか。世間の噂を本気にして、簡単に処罰されないように、なだめるように云って聞かせてくださいという。一条能保様はその使いを一緒に連れて行き、詳しい話を頼朝様に申し上げました。高階泰經様の手紙を開き見て、筑後權守俊兼が声を上げて読みました。
「頼朝の反論」
 その内容は、「行家と義經の謀反の事はひとえに天魔のなす処です。もし、(頼朝追討の)宣旨を下さらなければ、宮中に入って自殺すると言ってきたので、当面の災いを逃れるため、一度は朝廷の許可を出したことになりますけれど、本心は別なので、本当の許可はしていないのと同じなのだそうです。」これで後白河法皇の本心が伝わりましたでしょうか。二品頼朝様は、返事を使者に投げられておっしゃいました。
「行家と義經の謀反の行動を許可したのは、天魔の所為だとおっしゃられてきた事は、はなはだ根も葉も無いことじゃないか。天魔とは仏法に対して妨げ成し、人に対して煩いをするものである。頼朝は朝廷に敵対した平家を降伏させ、年貢の徴収などの務めを朝廷に忠実に奉仕しているのです。それを何で反逆者扱いをして、よく考えもせずに簡単に院宣を下されたのか。行家も義經も行方を捜して召し取るまでは、諸国も荒れ果ててしまい、人民も滅亡してしまうではないか。その原因を作った日本第一の大天狗は、どう考えても他の者ではない」という。

|

« 11月12日「義経等召し進すべしとの院宣下さる」 | トップページ | 11月18日 「頼朝上洛の伝聞」 »