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2009年8月 1日 (土)

十一月十一日「義経・行家捜索の院宣下る」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十一月十一日庚寅。
「義経・行家捜索の院宣下る」
 源九郎義經が反逆した宣旨は、義經に脅し半分に要求されたから出してしまわれました。しかし、追って頼朝に事情を説明しようと、後白河法皇は考えていましたが、頼朝様のお怒りがますます激しくなるので、予定していた訳には行きませんでした。そこに、源九郎義經と行家は反逆して九州へ行こうとしましたが、大物浜で難破したと噂があるけれども、死んだとは限らないので、早く勢力のある連中に命令して、山林を探してでも彼等を捕まえ出すように、院宣を関西諸国の国司達に出されたという。そこに書かれている内容は、
 後白河法皇の命令が出ました。源義經と行家は反逆して九州へ行こうとしましたが、六日に大物浜で逆風に遭ったという。難破したと噂があるけれども、死んだとは限らないので、早く武勇のある連中に命令して、山林や河や沢を探して、日をおかずに彼等を捕まえ出すように。その国のうちで国領は宣旨状のとおり正しく実行し、荘園では本所を通して手続きをするようにする事、これは大事な事であるでの、手抜きをしないように実行せよ。謹んでこの状を書きました。
      十一月十一日 太宰権師(吉田經房)
  某国守殿

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