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2009年8月 7日 (金)

十一月二十五日「行家・義経追捕の宣旨下る」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十一月二十五日甲辰。
「北条時政入洛す」
 今日、北條時政殿が京都に入ったという。行家と義經の反逆の事について、頼朝様が不満に思っていることを、師中納言吉田經房を通して事細かに、後白河法皇に申し上げました。
「行家・義経追捕の宣旨下る」
 そこで今日、色々と会議を開かれ、今度は行家、義經を絶対に見つけ出すように、宣旨が下されました。その内容は

 文治元年十一月二十五日   宣旨

 前備前守行家と前伊予守義經は、好きなように勝手に野心を持って、とうとう九州へ行きました。しかし、摂津国で出航しようとしたら、ばちが当たって逆風によって、押し戻されてしまいました。本当に天罰が当たったのです。難破して漂流して没したとの噂もあるけれども、死んだという確信はありません。早々に従二位源頼朝様に命じて、直ちに見つけ出し、その身柄を捕らえるように。
   藏人頭右大弁兼皇后宮亮藤原光雅が法皇の命で書きました。

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