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2009年7月 5日 (日)

1184年 1月13日「平氏入洛せざる三つの由緒」

1184年 (壽永3年、4月16日改元 元暦元年 甲辰)

[玉葉] 1月13日 癸卯 天晴 

 今日、明け方より午後2時ごろまで、義仲が東国に下向の事、有無の間変々七八度、遂に以て下向せず。これは近江に派遣した所の家来の飛脚を以て申して云く、九郎の軍勢は僅かに千余騎という。敢えて義仲の軍勢に敵対すべからず。よって忽ち御下向有るべからずという。これに因って下向を延引すという。
「平氏入洛せざる三つの由緒」
 平氏が今日入洛すべきと決定の処、そうならない三つの由緒有りという。
 一ハ義仲が法皇をお連れなさり、北陸に向かうべきの由風聞するの故、
 二ハ平氏は武士を丹波の国(京都府)に派遣し、家来等を招集させた。よって義仲もまた軍兵を派遣し相防がせた。然る間、平氏は和平を決定した。よって事決定の後、飛脚を派遣し引退すべきの由、お言葉を遣わすの処、猶合戦を企て、平氏方の家来十三人をすでにさらし首にしたという。茲に因って心を置き遅延した。
 三ハ行家が渡野陪(わたのべ)に出逢いテ、一矢射るべきの由を称せしむという。この事に因って遅延した。
色々の風聞が飛び交うが、デマではないのでこれを記録した。

「朝日将軍木曾義仲洛中日記」の本が出来ました。

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