文治元年(1185)十月十八日「頼朝追討の院宣、行家・義経に下さる」
「吾妻鏡」文治元年(1185)十月十八日丁夘。
「頼朝追討の院宣、行家・義経に下さる」
源九郎義經が、言上した頼朝追討の宣旨を朝廷から許すかどうか、昨日後白河法皇の院の庁で会議を開きました。しかし、今現在、京都で軍勢を持っているのは源九郎義經以外にありません。許可を出さないで、もし武力に訴えてきたら、誰に命じて朝廷を守ることが出来ましょうか。今この場を取り繕うために、とりあえず宣旨を出して、後で詳しい話を関東の頼朝に伝えれば、二品頼朝もきっと分かってくれて怒らないことでしょうと会議を取りまとめました。そこで、宣旨を出されました。懸案決定者は、左大臣〔經宗〕だという。
文治元年十月十八日 宣旨
従二位源頼朝卿は、専ら武力を背景に権力を振り回し、朝廷の権威を無視している。そこで、前備前守源行家、左衛門少尉源義經達は、その頼朝卿を追討しなさい。
蔵人頭右大弁兼皇后宮亮藤原光雅が、命じられて書きました。
「朝日将軍木曾義仲洛中日記」の本が出来ました。
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