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2009年7月16日 (木)

10月17日 「義経行家の謀反に同意す」

[玉葉] 10月17日 
「義経行家の謀反に同意す」
 去る十一日、義経が申し上げて言うには、行家はすでに頼朝に反きました。制止を加えましたが叶いませんでし。この為にはいかにしましょう。お言葉にに云く、相構えて制止を加うべしといえり。同十三日、また申して云く、行家が謀叛に制止を加うといえども、敢えて承引せず。仍って義経は同意しました。その故は、身命を君に捧げ、大きな手柄を成すこと再三に及ぶ。皆これ頼朝の代官としてである。特に賞賛すべきの由ありうるの処、適々恩に浴す所の伊豫の国、皆地頭を任命し、国務が出来ない。また没収の所々二十余ヶ所、先日頼朝し分け与えた。而るに今度の勲功の後、皆悉く取り返し、家来等に宛て与えた。今においては、生涯全く以て執思すべからず。ましてや家来を派遣し、義経を殺すべきの由、確かにその告げを得る。のがれようと欲すと雖も出来ない。よって墨俣の辺に向かい、一屋を射て、死生を決するの由所存なりという。お言葉に云く、特に驚き思いなされました。なお行家を制止すべしという。その後、音沙汰無し。去る夜重ねて申して云く、なお行家に同意しました。詳細は先度言上した。
「義経頼朝追討の宣旨を欲す」
 今に於いては、頼朝を追討すべきの由、宣旨を頂く事をと欲した。もし天皇の命令書が無ければ、身の暇をいただき九州に向かうべしという。その気色を見るに、天皇・法皇以下、臣下の上官、皆悉く相率い下向すべきの趣である。すでにこれ殊勝の大事である。この上の事はどの様に指図有るべきか。能く思量し計らい申し上げすべしという。(中略)
 午後10時頃、人走り来たり告げて云く、北方に時を作るの音有り。私はこれを聞いた。事すでに実なり。(略)頼朝の家来の中、小玉党(武蔵国住人)の三十余騎、中人の告げを以て義経の家に押し寄せ攻撃した(法皇御所の近辺なり)。殆ど勝ちに乗らんと欲するの間、行家この事を聞き馳せ向かい、件の小玉党を追い散らしました。
「頼朝に過怠なし」
「追討猶予は頼朝引級に似る」
「子細を頼朝に問わねべし」
「勅命に背き濫吹を企つれば追討宣旨を下さるべし」
「義経頼朝を誅滅せんと欲するは大逆罪なり」

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