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2009年7月26日 (日)

文治元年(1185)十一月三日文治元年(1185)十一月三日

[玉葉]文治元年(1185)十一月三日
「洛中貴賤多く逃げ隠れる」
 去る夜より、洛中の貴賤の多くが逃げ隠れた。今朝、九郎等が下向するとき、狼藉を疑わない為である。
「行家・義経西海に赴く」
 午前8時ごろ、前の備前の守源行家・伊豫の守兼左衛門の尉(大夫の尉なり。従五位下)同義経(殿上侍臣たり)等、各々身の暇を申し西海に赴きたり。これ則ち指せる過怠無し。頼朝の為誅伐されようとした。彼の害を免れる為下向する所である。
「義経等京都にて関東勢支え難く下向す」
 始め推して頼朝を討つべきの宣旨を申し下すと雖も、事叡慮より起こらざるの由、普く以て風聞するの間、近国の武士は将帥の下知に従わず。還って義経等を以て謀反の者に処す。しかのみならず、法皇以下然るべきの臣下等を引率し、鎮西に向かうべきの由、ひろく知られるの間、いよいよ人望に背き、その軍勢は日を遂って減少した。敢えて味方する者無し。仍って京都に於いて関東の武士を支え難く、これによって下向するという。院中以下諸家・京中ことごとく安堵した。
「義経等の所行義士と謂うべし」
 義経等の所行、実に以て義士と謂うべきか。

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