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2009年7月12日 (日)

文治元年(1185)十月六日「景季帰り義経の動静を語る」

「吾妻鏡」文治元年(1185)十月六日乙夘。
「景季帰り義経の動静を語る」
 梶原源太左衛門尉景季が、京都から帰ってきました。頼朝様の御前に参り申し上げました。「伊予守義經の屋敷へ行き、頼朝様の使いできた旨を伝えましたが、病気だといって会ってはくれませんでした。それなので、秘密の命令を伝えられませんでした。仕方なく宿〔六条油小路〕へ戻り、二・三日開けてからもう一度行きましたら、脇息に寄りかかりながら会ってくれました。その様子は、本当にくたびれ果てていて、何箇所かにお灸の跡がありました。それでも念のために、行家を滅ぼすようにご命令が出ていると伝えますと、答えられるには、病気は嘘ではない。源九郎義經が思うには、例え強盗のような犯人であろうとも、直接取り調べたい思っている。ましてや行家なら尚更だ。彼は全くの他人ではない。同じ源氏の經基王の子孫として弓馬の道の武士であり、普通の人と同様には扱えない。部下達だけで行かせても、簡単に降伏させることは出来にくい。それなので、早く病気を治して、元気になったら計略を考えましょう。と云いました。」と報告をしました。それを聞いて、二品頼朝様がおっしゃるには、「行家に同意しているので、仮病を使っているのが分かってしまったな。」という。これを聞いた梶原平三景時が云うには、「初日に行った時に会わないで、二日たった後で会っている。この様子を良く考えてみると、一日食事を絶って、一晩眠らなければ、その体は必ず疲れ切ってしまうだろう。お灸なんてのは、何カ所でも一瞬で加える事が出来る。ましてや日数があれば尚更だ。だとすれば二日の間に巧妙な仕掛けをしたのだろう。行家と共犯していることは疑いない。」という。

「朝日将軍木曾義仲洛中日記」の本が出来ました。
http://homepage2.nifty.com/yosinaka/

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