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2009年6月16日 (火)

7月28日「義仲・行家入京す」

[玉葉] 7月28日 庚寅 天晴 
「義仲・行家入京す」
 今日、義仲・行家等、南北(義仲は北、行家は南)より入京すという。晩頭、左少弁光長が来たり語って云く、義仲・行家等を蓮花王院の御所に呼び出し、追討の事のお言葉がありました。大理殿上の縁に於いてこれを命令した。彼の両人は地にひざまづきこれを承る。御所たるに依ってなり。
「彼の両人権を争う意趣あり」
 参入の間、彼の両人相並び、敢えて前後せず。爭か権の意趣これを以て知るべし。両人が退出するの間、頭の弁兼光が京中の狼藉を停止すべきの由言いつけたという。

 同じ日に「義仲と行家が参上した」の記述が「吉記」七月二十八日にある。「武将が二人、木曽の冠者義仲(年令は三十才余、故源義賢の次男、錦の直垂(ひたたれ)を着し、黒革威(おどし)の鎧(よろい)、石打(いしうち)の羽の矢を負い、折烏帽子(おりえぼし)。小舎人童(こどねりわらわ)取染(とりぞめ)の直垂(ひたたれ)、劔(つるぎ)を帯し、また替矢を負い、油単を履く)・十郎蔵人行家(年令四十才余、故源為義の末子、紺の直垂を着し、宇須部(うすべ)箭を負い、黒糸威の鎧を着し、立烏帽子(たてえぼし)。小舎人童上髪、替矢を負う。両人の家来は相並び七八人分別せず)参上した。行家が先ず門外より参入して言う、法皇様の御前に進むとき両人は相並び同時に参るべきか。然るべきの由指示されたという。次いで南門に入り相並び(行家は左に立つ、義仲は右に立つ)参上した。大夫の尉知康(ともやす)がこれを補佐した。各々は御所の東庭に進み、階隠間に当たり膝まずき敬礼した。長官が公卿の座の北簀子(すのこ)の下に居て、切石のある階下の前に進むように指示した。しかし両将は進まずに、西面にひざまずいていた」
 さらに「両人に平氏追討を命ず」と続く。「検非違使(警察兼裁判官)長官が後白河法皇のお言葉を伝えた。前内大臣の平宗盛以下の平家党類を追討せよと。義仲と行家の両人は「はい」と承り、退出した」
 そして「両人の容貌に驚目す」と続く。「早速この両人のかおだちと姿を見て思うに、夢か現実か、万人の注目は、筆の運びの及ぶ所ではない。頭弁(とうのべん)が指図して相談し、命令を徹底するよう指示があった」
 義仲と行家が法皇に謁見した様子が記述されている。吉記のほうが間近にいて服装外見について詳細な観察をしている。兼実のほうは伝聞である。
(注釈)
直垂(ひたたれ)・・・正面のえりの左と右がわとを垂らし引き違えて合わせる。
威(おどし)・・・よろいのさね(小板)を糸などでつづること。
石打(いしうち)・・・鷲の尾の両端の羽を矢羽として使用する。
折烏帽子(おりえぼし)・・・頂を折り伏せた烏帽子(黒い袋形のかぶりもの)。
小舎人童(こどねりわらわ)・・・貴人に仕える少年。
取染(とりぞめ)・・・所々に細い横筋が出るように染めたもの。
油単(ゆたん)・・・ひとえの布・髪などに油をひいたもの。
立烏帽子(たてえぼし)・・・中央部の立った烏帽子。
宇須部箭(うすべせん)・・・尾白鷲の尾羽の矢羽根の矢(箭)

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