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2009年6月14日 (日)

7月22日「源行家大和国に入り、宇多郡に住すという」

[玉葉] 7月22日 甲申 朝間天陰 辰刻以後晴 
「比叡山の僧綱下京す」
 午前6時頃、人告げた、江州の武士等、すでに六波羅の辺に入京し、物騒極まり無しという。また聞く、入京は実説に非ず。而るに地の武士等が台獄に登り、講堂の前に集会すという。日来登山の僧綱等併せながら京に下る。但し座主(明雲)一人、京に下らずという。
「源行家大和国に入り、宇多郡に住すという」
 また聞く、十郎蔵人行家は大和の国に入り、宇多郡に居住した。吉野の大衆等が味方したという。よって資盛・貞能等、江州に赴かず。行家の入洛を相待つという。貞能は去夜は宇治に宿営し、今朝多原の地に向かおうとするの間、この事有り。よって彼の前途を止め、この入洛を相待つという。
「源行綱平家に謀反し摂津・河内に横行す」
 また聞く、多田蔵人大夫行綱、日来平家に従属した。近日は源氏に同意するの風聞が有り。而るに今朝より忽ち謀反し、摂津・河内両国に横行し、種々の悪行を張行し、河尻の船等併しながら点じ取るという。両国の衆民皆悉く味方したという。
「丹波追討使大江山に引退く」
 また聞く、丹波の追討使忠度、その軍勢は敵対に非ざるの間、大江山に帰ったという。凡そ一々の事、直事に非ざるか。今日、上皇の宮に卿相が参集し、議定の事有りという。 私は同じくその招集ありといえども、病により参らず。

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