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2009年6月 5日 (金)

治承五年(1181)三月十日「源行家父子、墨俣河にて平氏に敗る」

「吾妻鏡」治承五年(1181)三月十日丙戌。
「源行家父子、墨俣河にて平氏に敗る」
 頼朝様の叔父の行家は、息子の長男蔵人光家、同次郎、僧義圓〔卿公と云う〕、泉太郎重光や尾張、三河の武士を引き連れて墨俣川に陣を構えました。平家の大将は頭亮重衡、左少將惟盛、越前守通盛、薩摩守忠度、三河守知度、讃岐守左衛門尉盛綱〔高橋と云う〕、左兵衛尉盛久等が同じ川の西岸におりました。夜になって行家は策略をもって密かに平家を攻撃しようと企んでいましたが、重衡の従者の金石丸は馬を洗おうとして川へやってきたら、東軍の軍勢の動きを見て攻めてきそうなのを知って急いで帰ってその旨を報告しました。その為に行家が未だ出陣する前に重衡の軍勢が源氏へ攻め込んできました。そんな予期せぬ事態が急に起こったものですから行家の軍勢はとても慌ててしまい、戦いましたが全く歯がたちませんでした。義圓は高橋盛綱に討たれ、蔵人次郎は忠度に捕虜になり、泉太郎重光・弟の次郎は盛久が討ち取りました。この他の軍勢も川にはまって溺れ死んだり、傷を受けて死んだりしたのが約六百九十余人にもなります。

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穂高神社(長野県安曇野市穂高)

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