治承五年(1181)三月十九日「大屋安資、行家敗退の戦況を鎌倉に報ず」
「吾妻鏡」治承五年(1181)三月十九日乙未。
「大屋安資、行家敗退の戦況を鎌倉に報ず」
尾張の侍の大屋中三安資が鎌倉へ走り到着して申し上げました。「先日の十日に十郎藏人行家(侍中は蔵人の唐名)が墨俣河(今の長良川)で平氏と戦をしました。行家に従っていた軍勢は全て負け滅びました。平家が勝った勢いに調子付いている合間に、そこから引き上げて熱田神宮に隠れました。先陣に当たる行家軍が敗れたので、重衡達の平家軍がこちらへも近づいて来る心配があります。」という。尾張の国衙に勤めている在庁官人の多くが平氏についたのに、安資だけは頼朝様に忠義を尽くしているので、とても神妙である。」と云って聞かせたという。
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