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2009年6月 9日 (火)

治承五年(1181)五月二十九日「行家の告文に対する大神宮禰宜の返状」

「吾妻鏡」治承五年(1181)五月二十九日戊戌。
「行家の告文に対する大神宮禰宜の返状」
 行家が先の十九日に神への手紙を伊勢神宮に差し出しました。その神主の返答文が今日、三河の行家の元へ届きました。

 今月十九日の神への願文と手紙が二十二日に届きました。細かい内容を読みました。そもそも、去年の冬の頃より関東が落ち着いていない。特にお祈りするように天皇からお言葉を戴いたので、それぞれ丹精込めてお祈りしているところ、思いの外に、神主達が天皇家の命に背いて源氏に心を寄せ、そちらをお祈りしていると告げ口があった。何度も法皇から真偽を確かめる問い合わせが来たので、間違いなく関東を懲らしめますと了承の誓いを出しました。それなのに今又、源氏から神へのお祈りの手紙が送られてきて、承知する訳にも行かないという事です。この内容を朝廷へ報告しておかないと後で朝廷から攻められる恐れがあるからです。いくら神宮を大切に信じて頼まれても、朝廷のお許しが無ければ祈ることは出来ません。 又、関東に伊勢神宮の領地は沢山ありますが、今までは、神の田も、荘園も、指し出す年貢は約束どおりきちんと差し出されておりました。それなのに、それらの現地役職者や神に遣える人達(神人)が、騒ぎにかこつけて、又兵糧米として調達されると云っては、規則どおりの納税をしないので、先例にあわせて使いをもって催促をさせました処、納税は少なく、拒否する者が多いのです。このため、神様に仕える物々が不足し、神の下僕として仕える者達は、愁いの声をあげています。神慮は恐れ多く、人の心は移りやすいので、今は妨げはしないと願文に記されております。その件は承知しておきます。
    治承五年五月二十九日 伊勢神宮事務係・権神主。
「行家牒状を延暦寺に送る」
 行家は返事を読んだ後で、神様に見放された事を知り、余計に狼狽して、比叡山の大衆達に味方になってくれと手紙を送りました。これは、平家のためのお祈りを止めて、源氏の味方をしてくれるようにとの事でした。

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