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2009年6月 1日 (月)

[行家]治承四年(1180)四月九日「源頼政、以仁王の令旨を受く」

[行家]

治承四年(1180)四月九日辛卯。
「源頼政、以仁王の令旨を受く」
 出家して入道の源三位(げんざんみ)頼政卿は、平相國(しょうこく)禪門〔平清盛〕を打ち滅ぼすため、かねてから準備していました。しかし、大義名分なしで私的に動いては成功しそうもないので、今日夜になってから息子の伊豆守仲綱達を連れて、一院(後白河)の第二皇子である以仁(もちひと)王がお住まいの三条高倉の御所に密かに参上した。前右兵衛佐(さきのうひょうえのすけ)頼朝等の源氏を味方に付け、平家一族を打って政権をとりましょうと申し上げました。そこで、以仁王は、散位(さんに)の宗信に云って親王等が発布する令旨(りょうじ)を下された。そして、陸奥十郎義盛〔検非違使の尉の廷尉(ていい)源為義の末っ子〕が丁度京都に来ていたので、この令旨を持って関東に行って、まず前右兵衛佐(頼朝様)に知らせた上で、他の源氏へも伝えるよう、よくよく命令された。義盛は後白河法皇の妹八条院の職員の蔵人(くろうど)に任命されました。〔義盛は名前を行家と変えました。〕

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