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2009年6月 4日 (木)

治承四年(1180)十一月七日「志田義広、行家ら来謁す」

「吾妻鏡」治承四年(1180)十一月七日乙卯。
「廣常以下、合戦の次第を報告す」
上総廣常以下の武士達が頼朝様の旅館に帰って来て、合戦の次第と佐竹秀義の逃げ去ったこと、城郭へ放火した事などを報告しました。軍勢の中で熊谷次郎直實と平山武者所季重は特に手柄があります。どこででも先頭を進み、命を顧みず、沢山の敵の首を獲りました。それで、賞も同僚より秀でてるようにとの旨を、頼朝様がその場で直接仰せられましたという。又、佐竹藏人が参上して部下になりたいと望んで云いました。直ぐに許可されました。それは手柄があったからです。
「志田義広、行家ら来謁す」
 今日、叔父の志田三郎先生義広と十郎蔵人行家達が国府にやってきて会見をしたという。

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伊和神社(松本市惣社)この付近が国府跡という。

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