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2009年5月22日 (金)

十月十三日「甲斐源氏および北条父子駿河国に向ふ」

治承四年(1180)十月十三日壬辰。
「木曽義仲上野に入る」
 木曾冠者義仲は亡き父義賢のあとに倣い、信濃国を出て上野国に入った。そこで住人は木曾義仲に従ったので、藤性足利俊綱からの妨げがあっても怖れることは無いと命じたという。(足利太郎俊綱の云うことを聞かずに木曾冠者義仲の命令に従えと云う意味)
「甲斐源氏および北条父子駿河国に向ふ」
 又、甲州の源氏と北條四郎時政、北條四郎義時親子は駿河へ向かい、今日も暮れたので大石宿に宿泊したという。午後八時頃に、駿河目代は長田入道の計略を採用して富士野へ回って攻めて来るとの、連絡が入った。途中で出迎えて戦いをしようと群議で決定した。武田太郎信義、一條次郎忠頼、板垣三郎兼頼、武田兵衛尉有義、安田三郎義定、逸見冠者光長、河内五郎義長、石和五郎信光達は、富士山の北麓の若彦路を越えた。加藤太光員と加藤次景廉は石橋合戦の後、甲州に逃げていたが、ここで一緒に駿河に到ったという。

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