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2009年5月23日 (土)

十月二十日「富士川の合戦」

治承四年(1180)十月二十日己亥。
「頼朝駿河国賀島に到る」「富士川の合戦」
 頼朝様は駿河国賀島に到着しました。又、左少將平惟盛、薩摩守忠度、三河守知度等は富士川の西岸に陣を張りました。しかし、夜半の頃になって武田太郎信義が作戦を考えて、ひそかに平家の陣の後ろを襲おうとしたところ、富士沼に集まっていた水鳥が一斉に飛び立ちました。その羽音はまるで軍勢の攻撃にそっくりでした。これを平家が驚いて騒いだところ、次將の上総介忠淸などが相談して云うには、東国の軍勢は全て頼朝様に付いてるので、我々平家が、わざわざ京都を出て、鎌倉を攻める途中で囲まれては逃げられなくなるので、早く京都へ戻り、他の方法を考えたほうが良いという。
「平惟盛ら退陣帰洛す」
 平惟盛以下はその言葉のとおり夜明けを待たずに、すぐに京都へ帰ってしまいました。その時、飯田五郎家義と子の太郎は川を渡って平家の軍勢を追いかけている時、伊勢の侍伊藤武者次郎は引き返してきて戦い、飯田太郎は直ぐに討ち取られましたが、家義が伊藤を討ち取ったという。印東次郎常義は鮫島で殺されたという。

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