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2009年5月26日 (火)

治承五年(1181)三月七日「武田信義を鎌倉に召し、忠誠の誓書を書かしむ」

治承五年(1181)三月七日癸未。
「三善康信、頼朝追討の院議あるを報ず」
 大夫属入道三善康信から手紙で言ってきました。去る月七日の後白河院での会議で武田太郎信義に命令して頼朝様を追討するよう院の庁の命令書を出すよう決められました。又、国々の源氏をどれも攻め滅ぼすようにとの話は実際はありません。実は滅ぼす相手は頼朝様だけです。噂の内容はこのようですという。
「武田信義を鎌倉に召し、忠誠の誓書を書かしむ」
 これに依って、頼朝様が思うには、武田の裏切りは無いとは言い切れない。詳しいことを武田太郎信義に尋ねたところ、駿河国から今日、本人が鎌倉に来ました。自分には追討する役をしろとの命令は来ていません。例え命令されたとしても、了承をするつもりはありません。本から背く心は無いことは、去年の再三に及ぶ戦の手柄の事を思えば、知ってもらえるでしょうか。と何度も弁解をした上、私の子孫の代になっても、頼朝様の子孫に敵対することはありませんと神や仏への誓いの文書を書いて、見ていただくため献上しましたので、お会いすることにしました。それでも未だ用心して、三浦義澄、下河辺行平、佐々木定綱、佐々木盛綱、梶原景時を呼んで座席の左右に居させたという。武田信義は、自分から刀を鞘ごと腰から抜き取りはずして、下河辺行平に渡し、武衛様が奥へ入った後、自分が帰る時に返してもらいましたという。

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