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2009年4月12日 (日)

7月20日「鶴岡若宮の傍らに熱田社を勧請す」

「吾妻鏡」7月20日 丙午
「鶴岡若宮の傍らに熱田社を勧請す」
 近頃、鶴岡若宮の近くに神社を祀る壇を新しく作りました。そこへ今日熱田大明神を勧請し奉納したところです。それなので頼朝様が参拝されました。武藏守平賀義信・駿河守廣綱以下の源氏の一族の人たちは、特別の装いでお供しました。結城七郎朝光は太刀持ちで、河勾三郎實政は弓矢調度を持ちました。この河勾三郎實政は、去年の冬木曾冠者義仲討伐に上洛した際に、一番乗りを目指して川を渡る時に、一條次郎忠頼と先争いの合戦をして、頼朝様からご勘気を受けていましたが、その武勇の名誉が先祖に恥じないものなので、数ヶ月を経たずに許されました。しかも、この役を仰せつかって頼朝様のお傍近く仕えしたので、見ている御家人達は不思議な思いを抱いたという。
「相模一村を貢税料所として鶴岡に寄進す」
 神様が引っ越してきた遷宮の儀式を終えると、熱田社の費用をまかなう料所として相模国内の一村を寄進されました。筑後權守俊兼が社殿前へ呼ばれ、寄進状を書いたという。

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