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2009年4月 9日 (木)

6月16日「頼朝、一條忠頼を営中に誅す」

「吾妻鏡」6月16日 癸酉
「頼朝、一條忠頼を営中に誅す」
 一條次郎忠頼は、威勢を振るうあまりに、世を乱す謀反の気配があるとの噂がありました。頼朝様もまた察していました。そこで今日、御所の中において暗殺することにしました。夜になって頼朝様は西の侍所へお出ましになりました。忠頼はお召しを受けて、正面に向かって座りました。主な御家人達数人が、列席しました。献杯の式をしました。工藤一臈祐經が、銚子を持って頼朝様の御前に進みました。彼は前もって暗殺の討ち手に決めてありました。しかし、特別に強いと有名な武将に対して、すぐに戦うことは大変重大な出来事なので、多少躊躇しているのか、顔色が変わってしまいました。小山田別当有重は、その様子を見て立ち上がり、このようなお酌は年寄りの役目だろうと工藤一臈祐經の持っている銚子を取りました。すると息子の稲毛三郎重成とその弟榛谷四郎重朝が杯と肴を持って、一條次郎忠頼の前へ進みよりました。有重は二人の息子に教えて云いました。宴会の昔の礼儀では、袴の裾のくくり紐は、膝の下で結ぶ上括りなのだと云いながら、持っている銚子を置いて括り紐を結びなおしていると、それに見ていた一條次郎忠頼に対し、天野藤内遠景が別な命令を受けていて、太刀を取って左側へ進み、早々と殺し終えてしまいました。このとき、頼朝様は自席の後ろの障子を開けて、次の間へ入られたという。
 その後、一條次郎忠頼の家来の新平太・甥の武藤与一・山村小太郎達は、庭から主人が切り伏せられたのを見て、それぞれ太刀を取って、侍所の上へ駆け上がった。急に事件が起こったので、御所へ来て居た人たちは右往左往して、沢山の人が三人のために怪我をしという。三人は寝殿に近づいて来た。小山田三郎重成・榛谷四郎重朝・結城七郎朝光達が彼等と戦い、新平太と与一を討ち取りました。山村は天野藤内遠景と戦おうとしたが、一間(1.8m)離れていたが、天野藤内遠景がまな板を取って叩いた。山村は縁の下へ倒れたので、天野藤内遠景の家来が首を刎ねてしまったという。

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