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2009年3月15日 (日)

四月二十三日「下河邊政義、功により所領国役を免ぜらる」

「吾妻鏡」四月二十三日 辛卯

「下河邊政義、功により所領国役を免ぜらる」
 下河邊四郎政義は、戦場では素晴らしい手柄をあらわし、幕府に仕えては苦労を惜しまず熱心に仕事に励むので、(頼朝様の)覚えもめでたかった。そのうちでも特に三郎先生義廣の謀叛の時に、常陸国の武士たちは小栗十郎重成を除いて、殆どが志田義廣の謀反に加担するか、奥州へ逃げてしまいました。政義は最初から頼朝様の下へ従ってきたので、常陸の国の南郡を下河邊四郎政義に与えられました。この一二年は国役が続いたので、経営が成り立たないと、筑後權守俊兼を通して訴えた。そこで、配慮するようにと、丁寧な常陸国の目代(代官)宛の御文書を送られました。

 常陸の國務について、三郎先生義廣の謀叛の時に、常陸国の武士たちは小栗十郎重成を除いて、殆どが志田義廣の謀反に加担して(私頼朝の)味方に弓を引いたか、奥州へ逃げてしまいました。その時に常陸の国の南郡を下河邊四郎政義に与えました。政義はこの一二年は、京都へ攻め上り、何度もの合戰に忠義な手柄を立てました。それなのに、南郡で色々な国役を無理やり押しつけたので、地頭の取り分も、代官の取り分も、全然儲けが出なくて収支が合わないと嘆き申しております。この下河邊四郎政義は、私頼朝が特に目をかけている者です。年貢と恒例の労働奉仕以外は、配慮をしてほしい。年貢は、怠けたり、滞らせたりすることの無い様に、良く言い聞かせておきますので、きっとそのとおりにするものと思います。地頭としての割り当てられた年貢を怠ることが無ければ、誰であろうと面倒は無いでしょう。この内容を伝えよとの、鎌倉殿の命令である。よってこの通りお伝えします。

 四月二十三日 筑後權守俊兼が代書しました。

謹んで申し上げます。常陸御目代殿へ

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