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2009年3月 6日 (金)

閏二月二十七日「小山朝政の使戦勝を報ず」

「吾妻鏡」閏二月二十七日 癸酉
「頼朝鶴岡社に満願の奉幣を行ふ」
 頼朝様は、八幡宮に参拝しお供えしました。願をかけて七日目が終了したのです。神前にひざまづいて、志田先生義広の蜂起はどうなったか独り言を言いました。そばに小山七郎朝光が太刀持ちでお供をしておりました。この言葉を聞いて、志田先生義広はもうすでに兄の小山四郎朝政に攻め滅ばされた事でしょう。と言ったという。頼朝は振り返って言いました。若者が言う事は単なる思いつきではなくて、神様からのお告げに相違ない。もし、お前の思いのとおり無事に終了すれば、褒美を与えよう、と言われました。朝光は、今年数えでまだ十五歳です。
「小山朝政の使戦勝を報ず」
 参拝しお供えが終わって御所へ戻ったところ、下河邊庄司行平や小山四郎朝政の使いが到着しました。志田先生義広が逃げた事を言いました。夜になって、又もや朝政の使いが参って、志田先生義広の仲間の首を持ってきたと報告しました。そこで、三浦次郎義澄、比企四郎能員などに命令して、その首を腰越へ運ばせ、さらし首の処分にしたという。

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