志田義広1180年(治承四年)十一月七日「志田義広、行家ら来謁す」
志田義広
1180年(治承四年、庚子)
「吾妻鏡」治承四年(1180)十一月七日乙卯。
「広常以下、合戦の次第を報告す」
上総廣常以下の武士達が頼朝様の宿所に帰って来て、合戦の次第と佐竹秀義の逃げ去ったこと、城郭へ放火した事などを報告した。軍勢の中で熊谷次郎直實と平山武者所季重は特に手柄がありました。どこででも先頭を進み、命を顧みず、多くの敵の首を獲りました。そこで、賞も同僚より秀でてるようにとの旨を、頼朝様がその場で直接お言葉があったという。又、佐竹藏人が参上して部下になりたいと望んで来ました。直ぐに許可されました。それは手柄があったからです。
「志田義広、行家ら来謁す」
今日、叔父の志田三郎先生義広と十郎蔵人行家達が国府にやってきて面会したという。
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