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2009年3月 3日 (火)

閏二月二十日「志田義広謀反露見し、下野に入る」

「吾妻鏡」閏二月二十日 丙寅
「志田義広謀反露見し、下野に入る」
 頼朝様の叔父の志田三郎先生義広は親戚の縁を忘れて、数万の軍勢を引き連れて、鎌倉を落としいれようと考えました。そのことが既に発覚しました。常陸の国を出発して下野(栃木)へ到着したという。
「頼朝、平氏来襲に備え、駿河以西を守らしむ」
 平家の軍勢が襲来するとの噂があり、鎌倉の勇士は多く、駿河より西の要塞に派遣しています。色々と考えて思い煩っています。ここに下河邊庄司行平は下総国にいる、小山小四郎朝政は下野国におります。その二人は特に命令しなくても、きっと手柄をたててくれるだろうから、特にその武勇を頼りにされております。このために、小山四郎朝政の弟の五郎宗政と一族の従兄弟の関次郎政平達は援軍のため、それぞれ今日下野へ出発しました。
「政平、志田陣に走る」
 しかし、政平は頼朝様の前に暇乞いの挨拶に来て、帰りました。頼朝様はこれを見て政平は二心をもっていると仰せられました。案の定、途中の道から裏道を通って義広の軍勢へ走り加勢したという。

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