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2009年3月 5日 (木)

閏二月二十五日「足利忠綱、義広敗北を聞き、西海に走る」

「吾妻鏡」閏二月二十五日 辛未
「足利忠綱、義広敗北を聞き、西海に走る」
 足利又太郎忠綱は義広に同意したが、野木宮の合戦で負けた後、先の行いを後悔して、後で罰せられる事を恥ずかしく思って、密かに上野國の山上郷龍奥に逃げ隠れました。部下の桐生六郎だけをそばに呼び寄せ、数日隠れていました。とうとう桐生の意見に従い、山陰道を通って九州のほうへ行ったという。忠綱は後世並ぶ者無き勇敢な侍で、人よりもすごい事が三つあります。ひとつは力が百人力。声は十里(40km)も届く。歯が一寸(3cm)もあるという。

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