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2009年3月 9日 (月)

十月九日「志田義広の上洛を欝申す」

[玉葉]十月九日 庚子 天晴 
「頼朝忽ちに上洛すべからざる故を申す」
 静賢法印が来た。世間の事を談じた。頼朝が使者を進上した、忽ち上京する事が出来ないという。
「藤原秀衡頼朝上洛の跡入る事を恐る」
1は(藤原)秀衡・(佐竹)隆義等が上京の跡に入れ替わるだろう。
2は数万の軍勢を率いて、入京すれば京中は堪える事が出来ない。
この二つの理由に依り、上京は延引したという。
 凡そ、頼朝の様子は、威勢厳粛、其の性強烈、成敗分明、理非断決という。
「志田義広の上洛を欝申す」
 今度、使者を献上し、不快を申す所は、三郎先生志田義広の上京である(本名義範)。叉義仲等は、平氏を追討せず朝家を乱した、尤も奇怪、しかるに忽ち報償を行われたのはおおいに謂われ無しという。申し状等にその道理は有るか。この他多く雑事を談じた。詳細に記録する事は出来ない。
 伝聞、義仲は播州(ばんしゅう、播磨、兵庫県南西部)を経廻し、もし頼朝が上京すれば、北陸方へ超えて逃げるべし。もし頼朝が忽ち上京しないならば平氏を討つべし由の準備をするという。
「小除目」
 今日、小幅の人事異動があったという。陰陽頭の賀茂宣憲は名誉無しと雖も、代を重ねる老衰により、抽任せらるるか。尤も然るべし。
「頼朝本位に復す」
 叉頼朝がもとの位に復帰する由のお言葉が下されたという。

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