1192年 (建久3年) 九月十二日「小山朝政、常陸国村田下庄を賜る」
1192年 (建久3年 壬子)
「吾妻鏡」九月十二日 辛巳
「小山朝政、常陸国村田下庄を賜る」
小山左衛門尉朝政は先年、勲功により恩賞を受けていた。常陸国の村田下庄である。そこで今日政所の下文を頂いた。その内容は次の通り。
将軍家の政所が下命する。 常陸の国村田下庄(下妻宮等)に。
地頭職に任命する事。
左衛門尉藤原朝政
右、去る壽永二年、三郎先生義廣が謀叛を発し戦乱を企てた。そのとき朝政はひたすら朝廷の威を仰ぎ、独り防ごうとした。そこで官軍を待ち、ともに同年二月二十三日、下野国の野木宮の辺で合戦したとき、ぬきんで以て軍功を立てた。そこでその時地頭職に任命したものである。庄官はよくよく承知し、間違いがあってはならない。お言葉はこの通りである。よって下命する。
建久三年九月十二日 案主藤井俊長
令民部少丞藤原行政 知家事中原光家
別当前の因幡の守中原朝臣広元
下総の守源朝臣邦業
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