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2009年3月16日 (月)

五月十五日「波多野・大井ら志田義広を誅す」

「吾妻鏡」五月十五日 壬寅
「波多野・大井ら志田義広を誅す」
 午後四時頃のことですが、伊勢国の飛脚が着きました。報告して言うには、先日の四日に波多野三郎盛通・大井兵衛二郎實春・瀧口三郎經俊と大内左衛門尉惟義の部下たちが、伊勢国の羽取山で、志田三郎先生義廣と戰を始め、一日中戦って、とうとう志田三郎先生義廣の首を取ったという。この志田三郎先生義廣は元々、頼朝様に従う意思が無くて、昨年軍勢を連れて、鎌倉を襲おうとした時に、小山四郎朝政がこれを防いだので、不成功のまま行方をくらまし、木曾義仲につきました。義仲が滅んだ後も、またもや逃げ去って、生死も分からなくなっていたので、頼朝様も憤慨は収まりませんでした。そこへこの知らせがあったので、特にお喜びになりました。

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