正月十七日「広常奉納甲の書付を見て、頼朝その真心を知る」
「吾妻鏡」壽永三年(1184)正月十七日丁未。
「広常奉納甲の書付を見て、頼朝その真心を知る」
大和判官代藤原邦道・一品坊昌寛それに神主兼重等は上総權介廣常が納めた鎧を携えて、上総一宮から鎌倉へ帰ってきました。すぐに頼朝様は御前へ呼んで、例の鎧「小桜皮おどし」をご覧になった。一通の封書が肩の紐に結び付けてありました。頼朝様は、直接この手紙を取って、お開きになりました。その内容は、頼朝様のご運をお祈りする願い事が書かれていました。謀反の心が無いことは、明らかなことが分かりましたので、罰として暗殺してしまったことが悔やまれましたが、今となっては仕方がないことなので、冥福を祈るばかりである。又、上総權介廣常の弟である天羽庄司直胤と相馬九郎常淸等は、連座により捕らえられていましたが、死んだ廣常の忠義の心に応じて、許されることになりました。願書に書かれていたことは、
上総一宮の宝前にうやまって申し上げます。
次の願いを立てます
一、 三年の間に、神様へ専用に年貢を奉納する田二十町を寄付すること。
一 、三年の間に、先例に沿って神殿を造営すること。
一 、三年の間に、一万回の流鏑馬を実行すること。
以上の行事をするのは、前右兵衛佐頼朝様の心中の御祈願の成就と、関東を平和を祈ってのものです。この願いが全て満たされた時は、益々神様のご威光を信じ、大事にいたします。そこで、このように願いを立てます。
治承六年七月日 上総權介平朝臣廣常
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