壽永三年(1184)正月一日「営中穢のため、頼朝鶴岡参詣なし」
「吾妻鏡」壽永三年(1184)正月一日辛卯。霽。
「営中穢のため、頼朝鶴岡参詣なし」
鶴岡八幡宮でお神楽がありました。頼朝様の参拝はありませんでした。去年の冬、(梶原景時による)上総廣常暗殺事件の血で御所中が穢(けが)れているからです。大和判官代藤原邦道がお参りの代理人として、八幡宮の回廊に座りました。八幡宮僧侶筆頭の法眼圓曉がやってきて、法華經を八回唱えられたという。
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「吾妻鏡」壽永三年(1184)正月一日辛卯。霽。
「営中穢のため、頼朝鶴岡参詣なし」
鶴岡八幡宮でお神楽がありました。頼朝様の参拝はありませんでした。去年の冬、(梶原景時による)上総廣常暗殺事件の血で御所中が穢(けが)れているからです。大和判官代藤原邦道がお参りの代理人として、八幡宮の回廊に座りました。八幡宮僧侶筆頭の法眼圓曉がやってきて、法華經を八回唱えられたという。
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