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2009年2月 1日 (日)

養和二年(1182)四月五日「文覚江島に弁財天勧請、頼朝これに臨む」

「吾妻鏡」養和二年(1182)四月五日乙巳。
「文覚江島に弁財天勧請、頼朝これに臨む」
 頼朝様は、腰越辺りから江ノ島へお出かけです。足利冠者義兼・北條時政・新田冠者義重・畠山次郎重忠・下河邊庄司行平・同四郎政義・結城七郎朝光・上総權介廣常・足立右馬允遠元・土肥次郎實平・宇佐美平次實政・佐々木太郎定綱・同三郎盛綱・和田小太郎義盛・三浦十郎義連・佐野太郎基綱等がお供をした。これは、高雄の文覚上人が、頼朝様の願いを祈るために、弁財天をこの江ノ島へ勧請(かんじょう、分霊を迎えること)し、初めて供養を始めるので、特に出席されました。秘密の行法でした。これは奥州平泉の藤原秀衡を祈り殺すためだという。今日、鳥居を立てられました。その後、帰る途中の金洗い沢(七里ガ浜)で牛追物(鏑矢などで子牛を射る遊び)が行われた。下河邊庄司行平・和田小太郎義盛・小山田三郎重成・愛甲三郎季隆などが当てた矢の数が多かったので、それぞれに色染めの皮や藍染の絹を褒美に与えました。

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