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2009年1月25日 (日)

十一月八日「秀義の所領を収公し、軍士の功に宛て行ふ」

「吾妻鏡」十一月八日丙辰。
「秀義の所領を収公し、軍士の功に宛て行ふ」
 秀義の領地の常陸國の奥七郡と太田、糟田、酒出等の領地を没収して、軍士の手柄の褒美として配られたという。
「捕虜岩瀬与一太郎を赦し家人に加ふ」
 又、逃げていった佐竹の家臣十人ほどが出てきたと噂があったので、上総廣常や和田義盛に言いつけて捕虜にして、皆庭につれてこさせました。その中に敵対心を持っているものがいればと、顔色をぶっしょくしていた処、紺の直垂を着た男が顔をうなだれて盛んに涙を零しているので、理由を聞かれました。亡くなった佐竹義政が殺された事を考えると、生きていても仕方が無いと云いました。頼朝様のお言葉には、「思うところがあるのならば、何故あの殺される場で戦って死ななかったのか。」答えて云いました。「あの時家来達は、橋の上にいけませんでした。主人一人が橋の上に呼ばれ殺された時、後日の事を考えて逃げました。併しながら、今ここへ来ることは、侍としては不本意ですが、心して頼朝様に面会できるついでに申し上げたい事がありました。」との事でした。猶、続いてその旨を聞きました。彼が言うには、「平家追討の戦略を放り出して、同族を滅ぼすなんてとんでもないことです。国の敵に向かう時は天下の勇士は力を合わせて向かうべきです。それなのに罪無き同族を殺すなんて、貴方の本当の敵は、誰に言いつけて攻めつぶすつもりですか。頼朝様や子供達を誰が守るのですか。この事を良くお考えになるべきです。現在は貴方の権威に皆恐れているだけで本当に服従している訳ではありません。このままでは、子孫に問題を残すだけです。」という。何のお言葉も無く奥の間へ入られました。上総廣常が云いました。「あの男は謀叛を考えている事は疑いありません。早く死刑にすべきです。」という。「そうすべきではない。」とのお言葉があり、これを許しておまけに御家人に入れました。岩瀬与一太郎と言うのがこの男ですという。今日、頼朝様は鎌倉へ帰りました。その途中に小栗十郎重成の八田の屋敷にお入りになられたという。

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