十月二十七日「頼朝上洛すという、尾張国保野宿」
[玉葉]十月二十七日 庚午 陰晴不定
「頼朝上洛すという、尾張国保野宿」
或る人云く、頼朝は必らず、すでに上京を企て、去る二十一日尾張の保野宿に付くべきの由という。然れども、二・三日延引か。ぜひとも入京は決定、竹園に於いては、相模の国に留め奉る。上総の国の住人廣常(介の八郎と称す)を以て守護し奉るという。
行家すでに尾張国内に入るという。また聞く、北陸道を去る二十四日襲い攻めようと欲した。然れども、無勢に依ってまた延引した。年内は合戦に及ぶべからずという。
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