3月9日「法金剛院領怡土庄の地頭の事院宣」
「吾妻鏡」3月9日 癸亥
「法金剛院領怡土庄の地頭の事院宣」
法金剛院領の怡土(いと)庄の事、地頭職を退去させるように、度々法皇の命令を下されました。而るに奥州征伐の後お言葉に従うべきの趣、先日御答申書を献上された頃、義経・泰衡が滅亡しました。然れども猶能盛法師は知行し難いとの御指図が有り、法皇の命令を下され今日到来したという。
法金剛院領の怡土庄の地頭の事、詳細は度々お言葉を下されました。而るに去々年お言葉を遣わすの処、奥州の事が終了した後、重ねてお言葉に随うべきの由申されました。今に於いては、異儀に及ばない事でしょう。そのうえに彼の院領は他に異なるの上、能盛法師は相伝の領地を知行出来ないので、特に歎き申しました。その理由は無きに非ずでしょう。あわれにお聞きなされました。是非を云わず、地頭を止めなさるのが宜しいでしょう。捨て去り難き事であるので、重ねてお言葉を遣わす所である。詳しい事情は、廣元にしっかり命じました。その主旨を存知なさるべしということです。院宣は此の如し。仍ってお伝えします。
三月一日 権中納言籐(経房)
謹上 源二位(頼朝)殿
私に申し上げます
地頭の事、詳細を申し置きなさるに依って、御猶予ありと雖も、この事に至りては、あわれと思いなされました。尤も停止されるべきです。御不審かと思い、このように申すものです。重ねてつつしんで申し上げます。
| 固定リンク