1191年 (建久2年) 11月14日「景時、平康盛を捕ふ」
1191年 (建久2年 辛亥)
「吾妻鏡」11月14日 己未
「景時、平康盛を捕ふ」
梶原平三景時が由比の辺に於いて、一人の男を逮捕した。この男は反逆の残党と自称した。景時が名字を問うと雖も、直に幕下(頼朝)に申すべきと答えなかった。仍って召し進上した。幕下(頼朝)は簾(みす)中に於いてこれを御覧になられた。朝宗・俊兼に申すところを記述させた。故伊豆右衛門の尉(有綱)の家人で前の右兵衛の尉平康盛である。北條平六左衛門の尉を謀ろうとして密かに探索中に、不運で此の様になった。金吾(有綱)は前の豫州(義顕)の聟である。彼の叛逆に味方したので、平六を派遣し殺されました。その遺恨を果たそうとしたのか。鶴岡遷宮以後に、罪名の指図が有るべしという。
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