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2008年10月11日 (土)

1202年 (建仁2年) 6月26日「政子、昨日の知康の言動を怒る」

1202年 (建仁2年 壬戌)

「吾妻鏡」6月26日 己亥 陰
「政子、昨日の知康の言動を怒る」
 尼御台所(政子)がお帰りになられました。昨日の儀、興有るに似たりと雖も、知康の独り歩きの思いを成した。はなはだ奇怪である。伊豫の守義仲が法住寺殿を襲い合戦を致したので、卿相(けいしょう、公卿)雲客(うんかく、殿上人)が恥辱に遭遇した。その根元は知康の凶害より起こるものである。また義経朝臣に味方し、関東を亡ぼそうとしたので、先人(頼朝)は特にお怒りでした。解官し追放されるように、天皇に申し上げました。而るに今彼の過去のあやまちを忘れ親しみ近づく事を許された。亡者の御本意に背くとの御意向があるようです。

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