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2008年10月13日 (月)

8月10日「服部左衛門六郎の奉公志願を却下す」

「吾妻鏡」8月10日 甲申
「服部左衛門六郎の奉公志願を却下す」
 備前の国の住人で服部左衛門六郎が御所中の奉公を致したいと望み申すについて、小侍所(御家人の統制)に於いて、先ず先々の奉公の証拠を尋ねられた処、伊豫大夫判官義経が平氏追討使として九州に在る頃、父祖等に扶持をなすべきの旨、廷尉は書状を送り、さらに乗馬を与えた。また軍忠に感心し、重ねて賀章を出されたという。仍って件の両通の書状を進めてご覧にいれた後、その裁断が有りました。今日吟味し評定の処、承久元年以来、医道・陰陽道の如きの類、御簡(おんふだ)等に召し加えられる事は、京都より御所に仕官させた故である。父祖の例無きと雖も、御家人と称し今更奉公を聴された事に於いては、いちじるしい者達であるべきだろう。遠国の住人等、ただ廷尉の内々の消息の書状ばかりを所持し、御家人の応募については、御許容に及ばないとのお言葉を出された所である。

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