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2008年9月 6日 (土)

4月9日 「奥州下向の官使到着す」

「吾妻鏡」4月9日 乙亥
「奥州下向の官使到着す」
 奥州に向うところの官吏の史生国光・院の廰官の景弘等、去る三月二十二日出京した。これは藤原泰衡に命令し、豫州(義経)を逮捕し進上すべきの次第である。彼の両人は宣旨(天皇の命令)並びに廰の御下文(くだしぶみ)等を所持し、今日すでに鎌倉に到着した。宿泊の雑事等、朝廷の命令書が有りました。仍ってその趣旨を守り、あきてなまけることの無いように指図を致すべきとの事を、稲毛重成・畠山重忠・江戸重長等に命令されたという。宣旨状等、二品(頼朝)は内密にこれをご覧なされた。
「義経追討の宣旨」
      文治四年二月二十一日     宣旨
 出羽の守藤原保房が言上し、東海・東山両道の国の長官並びに武士達に命令する。その身を追討された源義経及び味方の者等、当国に乱入し、破棄したところの古い朝廷の文書を以て偽り当時の宣旨(天皇の命令)と称し、謀叛を致す事
 そもそも件の義経、忽ち逆節を図り、みだりに朝廷の法令にそむいた。それゆえ神様はしるしを現し、賊徒は敗走した。仍って五畿(京都近国)七道(東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海道)の諸国に命じ、たしかに逮捕すべきの由、宣下を先にしました。
 ここに義経は身を容れる所無く、奥州に逃げ下った。先日の破棄した朝廷の文書を掲げて、当時の天皇の命令と称し、辺境の民を相語り野戦をしようとするという。件の朝廷の文書は、こと天皇の本心より出たものではない。自由の企み、武威によるものである。これに因って破棄すべきの由、直ちに君主の命令を下されました。どうしてその書状を以て、今も従い実行しようとするのか。悪巧みの訴えの趣、責めて余り有り。しかのみならず風聞の如きでは、前の民部少輔基成並びに秀衡法師の子息泰衡等、彼の人道にそむく悪人に味方し、すでに帝王の命令に背き、陸奥・出羽の両州の人や物を奪い、国司の役所・庄園の事務所の使者を追い出した。あまねく天の下、領海の内、何れか帝王の治める国土に非ざらん。誰か帝王の治める民に非ざらん。どうして天皇の命令に違反を知り、荒く虐げる事に同ずべきか。而るに凶徒を隠し居き、謀叛を計画させた。よくよく所行の様子を思うに、殆ど考え企みの段階わ超えた。但し泰衡等味方する心が無いならば、一つには義経の身を捕らえ進上し、一つには庄園公領の使を受用せよ。なお朝庭の掟に関係なくあれば、どうして天罰を免がれようか。直ちに官軍を派遣し、共に征伐を致すべきである。件の者ども等、早く隠しおく事を容認の思いを変更して、宜しく勲功の節を励むべし。たとえ辺境の民と云うとも更に違反し超越することなかれ。
                    蔵人右衛門権の佐平棟範(奉る)

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