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2008年9月 1日 (月)

11月25日「但馬住人山口家任の本領を安堵せしむ」

「吾妻鏡」11月25日 壬戌
「但馬住人山口家任の本領を安堵せしむ」
 但馬の国の住人に山口の太郎家任と云う者がいる。弓馬の名手で勇敢な武士である。しかし木曽左馬の頭(義仲)に従属して、近仕の随一であった。義仲が殺された後、豫州(義経)の家に従属した。豫州(義経)が逃亡したとき、同じく所々に横行するの間、北條殿これを生け捕りにして、呼び進上された。
 そこでて両人に仕えた理由を尋問したところ、申した、家任は譜代の源氏の御家人である。なかでも父の家脩は、六條廷尉禅室(為朝)に仕え忠節に励み、数箇所の所領を拝領しました。平家が天下を執った時、全て失いました。左典厩(義仲)入洛の当初、寿永二年八月に、たまたま安堵されました。その恩義に酬いる為、一旦は門下に列したものの、関東には異心を抱いてはいません。また豫州(義経)に属したとは、人々が偽りの訴えをしているのでしょう。
 六條殿(為朝)の御下文を今も持っているかどうか尋ねられたので、これを用意していて進上した。二品(頼朝)は両手を洗い、これを拝見された。邦通が読み申した。保元三年二月日の御下文である。内舎人の筆跡であるという。この御下文を重んじられて、他の事は問い質す処置はしなかった。本職に安堵すべきの旨、直によくよく仰せられたという。先祖の時代を重んぜられることは、万事このようであったという。

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