« 閏4月21日「塔供養後に泰衡追討実施の旨申し送る」 | トップページ | 5月22日「奥州の飛脚、義経誅戮を報ず」 »

2008年9月22日 (月)

閏4月30日「義経、泰衡に襲われ自殺す」

「吾妻鏡」閏4月30日 己未
「義経、泰衡に襲われ自殺す」
 今日、陸奥の国に於いて、泰衡が源與州(義経)を攻撃した。これは一つには朝廷の命令に従い、一つには二品(頼朝)の命令に従ったものである。豫州(義経)は民部少輔基成朝臣の衣河の館にいた。泰衡の従兵数百騎が、その所に攻め寄せ合戦した。與州(義経)の家人等が防戦したが、全て敗績した。與州(義経)は持仏堂に入り、先ず妻(二十二歳)と子(女子四歳)を殺し、次いで自殺したという。
   前の伊豫の守従五位下源朝臣義経(義行また義顕と改名された。年三十一)
 左馬の頭義朝朝臣の六男、母は九條院の雑仕の常盤。寿永三年八月六日、左衛門の少尉に任じられ検非違使の宣旨をいただいた。九月十八日に位のみ昇級した。十月十一日に御礼の儀式を行った(六位の尉の時、御礼の儀式を行わなかった)。その場で法皇御所と天皇御所の昇殿を許された。二十五日の後鳥羽天皇の儀式のお出かけに付き従った。元暦元年八月二十六日に平氏追討使の太政官の公文書を拝領した。二年四月二十五日に神鏡が西海から戻された。神鏡が天皇御所の朝所にお入りになる儀式の間付き従った。二十七日に法皇御所の御厩司に任命された。八月十四日に伊豫の守に任命された(検非違使は元のままであった)。文治元年十一月十八日に伊豫の守と検非違使を解官された。

|

« 閏4月21日「塔供養後に泰衡追討実施の旨申し送る」 | トップページ | 5月22日「奥州の飛脚、義経誅戮を報ず」 »