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2008年9月12日 (金)

12月11日「義経追討の院の庁下文」

「吾妻鏡」12月11日 壬申
「義経追討の院の庁下文」
  豫州(義経)追討について、宣旨を下された。さらに法皇の廰の御下文を添付した。官の史生守康がこれを所持し奥州に赴いた。今日到着した。八田右衛門の尉の宅に呼び入れ、食事を振るまった。また彼の御下文これを広げ示された。その詞に云く、
   院の廰下す 陸奥出羽両国司等
    早く両度の宣旨状に任せ、前の民部少輔藤原基成並びに秀衡法師子の息子の泰衡等をして、直ちに源義経の身を逮捕し進上させるべき事
 右件の義経、彼の基成・泰衡等に逮捕し進上させるべきの由、去る春かたじけなくも宣旨並びに院宣を下された処、泰衡等は勅命を受け入れず、朝廷から派遣された使に驚くこと無く、みだりに違越の悪巧みを計画し、ただ開陳をいつわりと致した。なかでも、義経等は猶凶党の集団の残余と結び、たしかに陸奥の辺境に居住すという。露見の趣旨はすでに風聞した。基成・泰衡等、身は王民として、地は帝土に居住する。何ぞ強いて天皇の命令に背き、愚かに逆賊に味方すべきや。たくらみが若し実たらば、ことすでに古来どの書籍にも載せられた事は無い。味方した罪、責めて余り有り。たしかに両度の宣旨に任せ、宜しく彼の義経の身を逮捕し進上せしむべし。もしなお容穏し天皇の命令の趣旨に違反すれば、早く官軍を派遣し征伐すべきの状、仰せの所件の如し。両国司等宜しく承知すべし。違失すること勿れ。故に下す。
     文治四年十一月日          主典代織部正大江朝臣
      別当左大臣藤原          判官代河内の守藤原朝臣
      右大臣藤原            右衛門権の佐兼和泉の守藤原朝臣
      大納言兼右近衛大将藤原朝臣    摂津の守藤原朝臣
      権大納言藤原朝臣         左近衛権の少将藤原朝臣
      権大納言兼右近衛大将藤原朝臣   少納言兼侍従藤原朝臣
      権大納言藤原朝臣         勘解由次官平朝臣
      権大納言兼陸奥出羽按察使藤原朝臣 権右中弁藤原朝臣
      権大納言藤原朝臣         右少弁兼左衛門権の佐藤原朝臣
      権中納言藤原朝臣         左少弁平朝臣
      権中納言兼右衛門の督藤原朝臣   右中弁藤原朝臣
      権中納言藤原朝臣         権中納言源朝臣
      権中納言兼太宰権の師藤原朝臣   権中納言藤原朝臣
      参議藤原朝臣           参議左大弁兼丹波権の守平朝臣
      参議左衛門の督藤原朝臣      右京大夫兼因幡権の守藤原朝臣
      宮内卿藤原朝臣          内蔵の頭藤原朝臣
      右近権の中将兼播磨の守藤原朝臣  修理大夫藤原の朝臣
      大蔵卿兼備前権の守藤原朝臣    造東大寺長官左中弁藤原朝臣
      修理権大夫藤原朝臣        丹波の守藤原朝臣

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