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2008年8月 2日 (土)

9月22日 「比企朝宗義経を求めて興福寺に武士を入る」

[玉葉]9月22日 乙丑
「比企朝宗義経を求めて興福寺に武士を入る」
 光綱(九条家の事務職員)が申して云く、昨日の午前6時頃、武士が二・三百騎、観修房得業の聖弘房(放光房と称す)を取り囲んだ。忽ち以て家宅捜索した。寺家は何事かを知らず。仍って僧正は使者を遣わしこれを尋ねられた。申して云く、九郎判官義行(義経)がこの家に居る。仍って逮捕する為であるようだ。その上は是非に能わず。然る間散々に家宅捜索した。聖弘は行方をくらまし逃げた。武士は成る事無く即ち帰京した。
「南都狼藉の子細を能保に尋ぬ」
(略)一条能保は人を遣わし伝えて云く、義行(義経)の家来の堀の彌太郎景光は比企の籐内朝宗により逮捕された。即ち詰問するの処、白状の次第は明白なので追捕する所である。而るに房主並びに義行(義経)は行方をくらまし逃げた。その間に下僧一人を捕取しこれに問うた。申して云く、義行(義経)が隠れて居た事は実説である。只今京都からの知らせに依り先だって逃げ去りました。
「能保兼実に陳謝す」
 一条能保はおどろいて陳謝して言うには、全く秘蔵の儀を知らず。朝宗は前もって寺中を追捕すべき由を申さず、ただ南京(奈良)に下向する由を申した。
(略)夜に入り午後10時頃に、左少弁定長が文書を送りて云く、義行(義経)は南都(奈良興福寺)に隠れ籠もるの由、一条能保申す所である。逮捕し進上されるべきの由、長官の僧正に命令すべしと言いました。即ち文書を相副え、頭左中弁光長朝臣の許に派遣しました。

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