10月29日「秀衡、義経を大将軍に推載する事を遺言す」
「吾妻鏡」10月29日 丙申
「鹿島社供米を常陸七郡に課す」
常陸の国の鹿島社は、御崇敬が他社と異なる。そこで毎月の御膳料を、常陸の国奥郡に充てられた。今日命令を加えられたという。
政所が下命する。 常陸国奥郡に。
早く鹿島社に毎月の一日に御膳料の籾(もみ)百二十石を出すべき事
多賀郡 十二石五斗
佐都東 十四石
佐都西 九石八斗
久慈東 三十六石一斗
久慈西 十四石三斗
那珂東 十三石九斗
那珂西 十九石四斗
右件の籾、毎年怠らず下し与えるべきの状件の如し。
文治三年十月二十九日 中原
藤原
大中臣
主計の允
前の因幡の守中原
「秀衡卒す」
「秀衡、義経を大将軍に推載する事を遺言す」
今日、秀衡入道が陸奥の国平泉の館に於いて亡くなった。このところ重病で死期が迫ったために、亡くなる以前に前の伊豫の守義顕(義経)を大将軍として、国務にあたることを、息子の泰衡以下に遺言したという。
鎮守府将軍兼陸奥の守従五位上藤原朝臣秀衡法師、出羽押領使基衡の息男。
嘉応二年五月二十五日、鎮守府将軍に任じられ、従五位下に叙される。
養和元年八月二十五日、陸奥の守に任じられ。同日従五位上に叙される。
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