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2008年8月25日 (月)

8月8日「梶原景時・原宗行能、最勝・尊勝両寺領押領の訴により陳状を召さる」

「吾妻鏡」8月8日 丙子
「梶原景時・原宗行能、最勝・尊勝両寺領押領の訴により陳状を召さる」
 梶原平三景時と原の宗四郎行能が、最勝寺・尊勝寺等の寺領を押領しているとの寺家の訴えがあったと、法皇からお言葉が伝えられたので、両人に尋問されたところ、各々陳状(陳述書、答弁書)を献上した。その陳状を職事に付けられたという。
「景時の陳状」
   平の景時が謹んで陳じ申します
    尊勝寺御領の美作の国の林野・英多保の事
 右のことについて、下し給わりました訴状を、謹んで拝見いたしました。先般尋問されたとき、詳細は言上しました。年貢以下の雑事について、先例の通り弁済に勤めています。代官の改補の件については、寺家が訴えるべきものではありません。その理由は、先例がある大事な年貢雑事の勤めを怠慢していなければ、訴えることが出来ないからです。ただ景時の知行を停止させめために、このような事を申しているのでしょうか。詳細はたびたび言上しました。したがって委細の陳状には記述しません。謹んで陳じ申します。
     文治三年八月五日       平景時
「行能の陳状」
   惟宗行能が謹んで解し申します。
 最勝寺が訴えております、若狭の国今重保を、院宣並びに鎌倉殿の御下文の旨に背いて、押領を企てているという事。
 右の事について、九郎判官(義経)が反逆した時、東国から武士が上洛した日、行能は北條時政の軍勢と共に上洛しました。しかし兵粮米に充てられた所には、代官を置いて知行してはならないと、鎌倉殿から命令されていたので、代官を置かず、本国に帰りました。まして今重保には、知行すべきの由緒がありません。また鎌倉殿から恩給をうけた所でもありません。どうして押領を致しましょう。但し行能の代官と号して、去り状が無ければ、従わないと称し、たびたび院宣と鎌倉殿の御下文に背いたので、院宣に依って御叱責されたのでしょう。これに因ってまた不当の名の立つ恐れが少なくありません。従って行能の代官と号する者どもは、早く逮捕し、罪科に処せらるべきです。全く行能が企てた事ではありません。仍って謹んで申します。
     文治三年八月八日       惟宗行能(判)

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