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2008年7月 1日 (火)

4月8日「頼朝・政子、静の舞を見物す」

「吾妻鏡」4月8日 乙卯
「頼朝・政子、静の舞を見物す」
 頼朝様と奥方様は、鶴岡八幡宮にお参りをなされました。その機会を利用して、静御前を回廊にお呼び出しになられました。これは、舞曲を演じさせるためである。この事は、前に命じましたが、病気だと云って参上しなかった。我が身のいたらなさはしかたが無いが、源九郎義經の妾とあきらかに分かるように皆の前に出るのは、とても恥ずかしい事なので、普段からぐずぐずとごまかしてきたけれども、彼女は、天下の名人なのです。それが偶然に関東へ来て、近いうちに京都へ帰るというので、その芸を見ないのは無念ですと、奥方様が盛んに進めるので、仕方無しに呼び出すことになりました。絶対に八幡大菩薩もお気に召すようにせよと命じました。
 最近は、とても悲しいことがありましたので、とても踊りなんて上手に踊る気力もありませんと、回廊に座ってからも未だぐずって辞退していました。しかし、何度も命令されたので、嫌々ながらも、白雪のような真っ白な袖をひるがえして、黄竹の歌を歌いました。工藤左衛門尉祐經が鼓を打ちました。彼は、何代か前からの武勇の優れた家に生まれて、戦闘の技を継いでいるだけでなく、武者所の筆頭として京都へ勤務した時に自分から歌舞音曲の心得があるのでこの役を与えられたのです。畠山次郎重忠は銅の拍子木を打つ役です。
 静御前はまず、歌を歌って述べました。
吉野山 峯ノ白雪 フミ分テ 入ニシ人ノ 跡ゾコヒシキ
 次に別な今様などを歌った後で、和歌を吟じました。
 シヅヤシヅ しずノヲダマキ クリカヘシ 昔ヲ今ニ ナスヨシモガナ
 まことにこれは八幡宮一帯が壮観なものとなり、神殿の梁に積もった塵さえも神様が喜んで震え動いているように思われ、見ている人は上下の別無く感動をしました。
 それなのに頼朝様が、おっしゃるには、八幡宮の前で、芸能を奉納する時に、関東の安泰を祝うところだろうのに、神も私も聞いていることを知りながら、鎌倉に反逆した源九郎義經を恋しくて別れの時の事を歌うとはけしからんと。そしたら奥方様がたしなめられて云いました。
 あなたが、流人として伊豆に蟄居していたときに、私はあなたと結ばれてしまいましたが、父の北條四郎時政様は、平家全盛の時に源氏のせがれとの事を平家への聞こえを心配して、私を合わせないように閉じ込めてしまいました。しかし私はそれでもあなたが恋しくて、真っ暗夜の闇の中を、激しい雨に打たれながらも、あなたの所へ逃げていったものです。それに、石橋山の合戦に出陣している時は、一人で走湯神社に逃げ込んで残り、あなたの生死を知ることも出来ず、ただ毎日生きた心地もしなかったものでした。その時の悲しみを思い出せば、今の静御前の心は、源九郎義經が可愛がってくれたことを忘れずに恋しがっているので、他の男には目もくれない貞操堅固な女の姿だと云えるんじゃない。踊った外見の素晴らしさもさることながら、内に秘めた感情にも感謝したい。本当に魅惑的に感動させられたのだから、そこらへんは我慢をして、褒めてあげてくださいと。
 それで、頼朝様も御憤りも止んだようです。しばらくして着ている着物「卯の花重ね」を御簾の外に押し出し、これをご褒美にしました。

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