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2008年7月 2日 (水)

4月20日「叡山僧義経に同意すとの風聞」

「吾妻鏡」4月20日 丁卯
「摂政家領の配分につき京都に申さしむ」
 摂政九条兼実の領地について、頼朝様は京都の後白河法皇に申し入れました。その内容は、前摂政の近衛基通殿は、父基実の妻白河院盛子の領地だといって、氏寺の興福寺領と春日大社の領地以外を全部独り占めしてしまったそうだが、これはとても都合の悪いことであります。現在政治を司る摂政が領地が無いのです。平家が盛んな時に、中摂政長男の基実殿の後家だからと白河殿盛子がすっかり手に入れてしまった所なのです。二男の松殿基房はわずかに興福寺領を納めています。その時の分配の判断がとんでもないでたらめな政治であります。藤原氏代々の領地は、新摂政(兼実)が預かるべきでしょう。だから摂政を退いた基通殿は、祖父の忠実が娘で鳥羽天皇の皇后だった高陽院(かやいん)に与えた荘園五十余箇所あるので、それを基通が知行すればいいでしょう。そう云う一番道理にかなう命令を出されるべきでしょう。と云っております。
「叡山僧義経に同意すとの風聞」
 又今日、行家と義經が京都の中に居て、比叡山の僧兵達が味方をしていると、話が聞こえているので、特に命令を出してください。そうでなければ、強い武士達を比叡山に登らせて、その僧兵達を探して捕まえるように、朝廷の窓口関東申次ぎの師中納言吉田經房の所へ伝えさせました。この内容を源刑部丞為頼〔元は新中納言平知盛の家来で故片桐為長の親類〕が使いとして京都へ旅立ちました。

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