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2008年7月 9日 (水)

6月6日「義経捕縛宣旨」

[玉葉]6月6日 壬子 天晴 
「義経捕縛宣旨」
 午後2時頃、定経が来た。義行(義経)を討つべきの宣旨の事、法皇に申しあげの処、早く宣旨を下すべきの由仰せ有りと。その宣旨の状これを見せしめた。
    文治二年六月六日       宣旨
 謀反の首、前の備前の守源行家、前の伊豫の守同義行(義経)等、敗走の後、帰降の思いを成さず。殆ど?語の聞こえ有り。広く京都中央から地方に命令し尋ね捜すの間、行家すでに罪人として処罰された。義行(義経)は独り逃れ隠れている。殺穴を歓ぶと雖も、猶逮捕せんと欲す。重ねて京都近国から全国七道の国の国務長官等に命令する。確実に義行(義経)が身を逮捕し差し出す事。もし特殊な功績が有れば、報償は破格に以て対応する。
                    蔵人の頭左中弁藤原光長(奉る)
 人伝えて云く、義行(義経)を逮捕する為武士が東西に馳走するようだ。一条能保に尋ね遣わすの処、申して云く、大内惟能は在所を聞き得たの由申すと。然れども未だ実説を知らず。
「義経の母常磐を捕らえて所在を問い石蔵を捜索するも義経逐電す」 
 伝聞、先ず母並びに妹等を搦め取り、在所を問うの処、石蔵に在るの由を称す。武士を遣わすの処、義行(義経)は逃亡し行方をくらました。房主僧を逮捕した。その後の事未だ聞かない。入道関白申されて云く、昨日命令を受けた鞍馬寺の住僧の事すでに逮捕した。何処に連行すべきやと。一条能保の許に連行すべきの由を命令しました。

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