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2008年6月 4日 (水)

12月15日「時政静を尋問す」

「吾妻鏡」12月15日 甲子
「時政静を尋問す」
 北條時政殿の伝令が京都から到着しました。京都内の動向を文書に書いて報告してきました。謀反人たちの屋敷をまず差し押さえました。それは源九郎義經に協力した連中で、現在分かっている者達を逃がさないように策略を考え、そのことも師中納言吉田經房殿へも申し入れました。
 次に源義經の妾の静が来ました。詳しく訪ねたところ、「義經は都を出て九州へ行こうとした朝に、一緒に連れて大物浜へ行きました。しかし、船が難破して海を渡ることは出来なくて、家来達は皆ちりぢりになってしまいました。その夜は天王寺に泊まって、義經はそこから行方をくらましました。その時に約束をしたのが、もう二日ほどここで過ごして待っていてくれ、迎えの者をよこすからと云いました。しかしながら、約束の日時が過ぎたら、何処かへ行きなさいとの事でした。待っていましたら、馬が到着したのでそれに乗って、何処を通っているのかも知りませんでしたが、道中三日かかって吉野山に到着しました。その吉野山に五日間逗留した後、分かれました。その後の行方は分かりません。私は深山の雪をかき分け歩き、運良く蔵王堂へたどり着いたら、事務の方が私を捕えていました。」と云いました。云っていることはこのとおりですが、どのように計らいましょうかとのことです。
 一方鎌倉では、若君(頼家)の病気が治りました。

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